煩悩を調べたらこういう説明をしている。↓↓↓
「心身にまといつき心をかきみだす、一切の妄念・欲望。」
だそうです。
たったこれだけの回答でシンプルに終わらせていますね。
ここから先は私(筆者)の訳の分からん話になるので飛ばして下さいね。
興味ない方は、せーの今日も1日御安全に!!!🐼
興味ある方は、どーぞお読み下さいな。
「生きる意味とは何か」「人間とは何か」「自分とは何者か」とか「使命とは!?
天命とは!?」とか考える人は、だいたいにおいて生きるのが苦しい人です。
そういうことを考えないと、なんで苦しい思いして生きなきゃならんのかわからんし、
意味があると考えなきゃやってられないわけですね。
意味や使命があると思えばこそ、生きようかって気にもなるものです。
別に生きるのが苦しくない人は、そんなことを考える必要はないですもんね。
意味とか使命とか、そんなものがあるかどうかなんて、ほんとのところはわかりません。
だけど、あると思った方が生きる気力が出るような気がするから、あることにして考える。
こういう人たちの中身は、そういうふうにできてますね。
だからいろいろ考えるし、探し求めるわけですね。
切実だからそれなりに深まりもしますしね。
そうやって考えることで救われようとした人たちが、哲学者とか宗教者とかになってきたのかもしれません。現代だったらカウンセラーとかセラピストもそうかもしれませんね。
逆に、考えることを全く放棄して苦しさを忘れれば救われるんじゃないかと思った人たちが、酒や薬やギャンブルに溺れる人になってきたのかもしれません。
その中間ぐらいの人たちが、ほどほどに考えて、でも追求しすぎずまあまあと言って、エンターテイメントやアミューズメントやリラクゼーションやグルメやカラオケで気分をコントロールしながら、日々を乗り切っているのかもしれません。
そして「考えるより行動だ!」なんて意気込みが盛んな人たちが、事業をやったり、利益を上げたり、勝負したり、計画したり、達成したり、上昇したりして、生きる実感を得ているのかもしれません。
古来からの問いですが、仏教ではそれを「煩悩」というところから説いています。
煩悩の中でも、根源的な「三毒」といわれるものがあります。
これが煩悩という苦しみの元だ、というわけです。
貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)
つまり
貪:むさぼり 際限なく欲しがり、貪ること。あくなき欲望。
瞋:いかり 怒ったり憎んだりすること。
痴:おろかさ 物事の道理・真理をわかっていないこと。
「むさぼり」と「いかり」はわりとわかりやすいですね。
それに対して「おろかさ」というのがちょっとわかりにくい。
しかし、一説には「むさぼり」も「いかり」もその大元は、この「おろかさ」から発生しているのだといいます。
この「おろかさ」は別名「無明(むみょう)」ともいいます。
明かりがないこと、冥い(くらい)ことです。
ますますよくわかりませんね。
でも実は、ここが深い!!
「煩悩」と聞くと、いちばん思い浮かべやすいのは「欲望」ですよね。
一般的にはなんとなく「欲望」=煩悩であると思われているフシもあるようです。
「食欲や物欲や性欲が旺盛で」みたいなことを「煩悩が深くて」などと冗談交じりに言う人もいます。
実際、煩悩とは欲望のことだけでなく、喜怒哀楽その他もろもろ全部含めて、苦しみにつながる感情や精神活動を「煩悩」というようです。
煩悩は煩悩でも
寂しさは金
未練は銀
耐える事が人間を強うしてくれますね。
長々とお話ししましてすみません。
ご清聴ありがとうございました。
今日も1日御安全に頑張りましょう!!!🐼