
カフカの『断食芸人』を読んだ。
最初は、ずいぶん奇妙な男の話だと思った。
食べない。ただそれだけのことを、
彼は職業にして、人々に見せている。
人々は彼を見物し、驚き、やがて飽きる。
そして彼の存在を忘れていく。
考えてみれば、ずいぶん静かな商売だ。
でも、読み終わってから少し考えてみると、奇妙なのは断食芸人のほうではなく、
彼を見ている人々のほうなのかもしれないと思った。
彼は最後まで断食をやめなかった。
けれど、それは強い意志があったからではない。
彼は言う。
「自分にとっては、断食することがいちばん
簡単だった」
この言葉が、妙に残った。
人間は、ときどき自分でも理由のわからないことを続ける。
誰かに認めてもらいたいわけでもない。褒められたいわけでもない。ただ、それ以外の生き方がうまくできないから、それを続けている。
周りの人間は、それを「信念」と呼んだり、「才能」と呼んだりする。
でも本人にとっては、もっと単純なものだったりする。
それが少し怖い。
僕は夜になるとレコードを聴く。
ターンテーブルにレコードを置いて、針を落とす。
小さなノイズがして、音楽が始まる。
誰かに聴かせるためでもない。
もちろん、誰かに聴いてもらえたら嬉しい。でも、誰にも聴かれなくても、たぶん僕は針を落とす。
そう考えると、少しだけ断食芸人のことがわかるような気がした。
人間は、何かを続ける理由を後から作るのかもしれない。
レコードを集める理由も、本を読む理由も、仕事を続ける理由も。
それが好きだから、と言えばそれで済む。
けれど、「なぜ好きなのか」と聞かれると、少し困る。
もしかすると、本当は理由なんてないのかもしれない。
断食芸人は最後には誰にも見られなくなる。
檻の中で、ほとんど何も残さずに死んでいく。
そして、そのときになってようやく、自分がなぜ断食していたのかを口にする。
その理由は、あまりにも単純で、だからこそ悲しい。
食べたいものを見つけられなかった。
それだけだった。
本を閉じたあと、部屋は静かだった。
ターンテーブルの上には、さっきまで聴いていたレコードが止まっている。
黒い盤は何も言わない。
僕はしばらく、それを眺めていた。
人はみんな、それぞれの檻の中で何かをしている。
仕事をしたり、音楽を聴いたり、本を読んだり、何かを集めたり、誰かに認められようとしたりする。
そして、ときどき思う。
自分はいったい、何を食べたくて、ここまで来たんだろう、と。
もし、その答えが見つからないまま、毎日同じことを続けていたとしたら。
もし、それを誰も不思議に思わなくなったとしたら。
そして最後に、自分自身でさえ、それが「なぜなのか」を忘れてしまったとしたら。
そのとき、檻はもう必要ない。
自分が檻そのものになっているからだ。
『断食芸人』は、食べない男の話ではない。
自分が本当に欲しいものを見つけられない人間の話なのだと思う。
そして、そういう意味では、この話は百年以上前に書かれたものなのに、少しも古くない。
むしろ、今のほうがずっと身近なのかもしれない。
レコードが止まった。
でも、針を上げる気にはなれなかった。
今日も1日御安全に!!!🐼